日曜日の新聞に「翻訳のポイエーシス」の書評が載ってました。
で、ランボーの名前も。
思うんだけど翻訳って難しいよね。
他の国でもやってることだから、普通なんだけど・・・
ランボーのことをいろいろ調べていて、本当のところをものすごく知りたくなったのです。
たいてい直訳じゃないみたいだし、原語ではどうなのか?
ある人はこう訳し・・・で、統一されていないよね。
文学作品だから違って当然ですが・・・
また翻訳者がランボーをどう解釈しているかも翻訳にあらわれるのではないかとも考えた。ランボーは、定説どおりの人ならそういう風な性格の人っていう前提で訳すのかなとか?
はたまた別の翻訳者はランボーは実はやさしい人じゃなかったかとそういう性格で訳すとか?
これって重要じゃない?
特に日本語の場合。例えば、Iって英語だとこれ一つしかないです。しかし日本語には、わたし、わたくし、おれ、ぼく とかいっぱいある。
どういう基準で、どれを採用する?
なので意訳と、直訳、原語を3つ併記するといいなあなんてぜいたくを思いました。
先週、NHKの歴史ヒストリアで土方歳三特集をやってました。
で、その中で去年、近藤勇の漢詩の掛け軸が発見されたことを知りおどろきました。
知りませんでした。
字が上手だ。昔の人はみんな上手。
掛け軸は漢詩なんです。ここもまた驚くべきところ・・・
内容は普通の英雄なんて目指さない!というものです。
取り上げている方も発見
http://miburou.blog103.fc2.com/blog-entry-1189.html
やっぱり誰が筆跡かもとてもくわしく見るんですね〜
漢詩は4行です。漢詩だから全部、漢字です。
高校の国語の時間以来です。こういうの・・・
いまでいうとツイッターなんてしないとか?
近藤さんらしい?
考え方が大きいなあ。
1863年作らしいです。京都に来たばかりの頃か・・・
ネットでいろいろ見たところ、
筆跡は近藤さんが好きだった頼山陽の筆跡を真似しているとか・・・
こういう書を借金の肩に書くことがあったとか・・・
この番組の最後に登場した土方さんの辞世の和歌も
誰が書いたものかははっきりしていなかったそうですね。
番組では土方さんの豊玉発句集も紹介。ありのままに詠んでるとか・・・
そうなんだけど、それでいいじゃないですか?
京都に行く前にまとめらしいです。 自分の意志によって・・・
すごいよね。
なのに評価されていないのはなぜ?
いつも茶化しておしまい・・・
土方さんだって詩人だよなあ。近藤さんだって・・・
なのにランボーはどうして詩と雑事が分断されるの?
私はランボーを知るほんのちょっと前に新選組を知りました。12月頃かな。で、ランボーとは年が明けて、7月・・・
でも似た時代の人らじゃない?
一緒に語ったら、おかしなことになりそう?
銀魂の長谷川さんの裁判の話を思い出していて、この木綿の人は
詩の何か・ミューズであるのかなと思った。
銀魂の話に出てくるにせハイジも長谷川さんの想像の中に出てくる。
この話の最初は全くの別物で長谷川さんはめずらしく仕事が見つかり(まともではないけど)
今から行こうとって時に事件に巻き込まれてしまったのでした。
どういう関係があるのかわからないけど・・・
この詩は、詩を作る過程での葛藤を描いたもの?
かな?
こういう解釈はいいのかな?
イザベルさんが言うように「イリュミナシオン」に出てくる登場人物はすべて
ランボーなんだって話になってしまう。

